ひねもす建築|薬師寺《東塔》修復工事
住宅をリフォームするのと同じように、改修工事が必要なのは国宝も同じ事。
1998年、世界文化遺産に登録された薬師寺《東塔(とうとう)》も、2009年から約110年ぶりの修復工事を行っております。
(写真:修復前の薬師寺・東塔)
680年、病に臥せった皇后(のちに持統天皇)の病気平癒を祈願して、天武天皇が建立を発願した寺院が薬師寺でした。その後、完成を見る事なく天武天皇が崩御され、亡き夫の遺志を受け継いだ持統天皇が造営を完遂。698年、藤原京に完成した薬師寺でしたが、平城京への遷都に伴い718年に薬師寺もまた平城京へ移転する事となる。それが現在の薬師寺です。その後、薬師寺では災害や火災・戦火等で多くの建造物を失うなか、その都度《東塔》は焼け残り、奈良時代初期(730年)に建造された姿のままが現存している、薬師寺内唯一の建造物となりました。
建造物としては、本瓦葺き屋根の三重塔で総高さは34Mあります。やはり印象的なのは屋根部分でしょうか、各層の下には裳階(もこし)と呼ばれる見せかけの屋根が付いているので、まるで六重塔の様に見えます。裳階は風雨から守る傘の様な役割があるとされていますが、裳階が各層に付いている姿は珍しく、大小の屋根が律動的な印象を与え、その美しさは『凍れる音楽』と称されました。
(写真:土居葺きの様子)
今回の修理は、いったん建物を全て解体し、地下の発掘調査を行い、その後、破損部材の取替えや修繕を行いながら再び組上げる解体修理となります。
三重屋根と裳階に葺かれた瓦は約33,600枚。屋根瓦が下ろされた屋根下地(土居葺き)の傷みは少なく、雨漏りの跡も、ごく一部に見られるだけで、昭和の修理が非常に丁寧であった事が分かった。また外回りでは、各層とも長年の風雨で軒は傷み、内部は心柱の傷みが酷かった。
心柱は、東塔の中心を貫く高さ約30M、直径最大約90センチの柱で、塔の耐震性を高める役割がある。
その重要な柱は、シロアリ被害によって底部に高さ2.7M、直径60~70センチの大きな空洞が出来ていた。薄い部分では2センチ程の木材の厚みしか無かったと言う。現在の位置に建ってから約1300年。今回の修復工事で初めて心柱が取り外され、創建当時の木材を出来る限り活用し修復されました。
この東塔中心にある心柱は、2本を途中で継いでいるものの基壇石から水煙まで約30Mの高さがあり、最上層の屋根の頂部と接続している以外、他の層と全く接触していません。最上層の屋根まで、心柱を囲う様に吹抜けが出来ています。その為地震が起きた時、各層の揺れとは異なる揺れ(周期)で動き、それが結果的にお互いの揺れを打ち消しあっていると考えられています。この制振の考え方は、東京スカイツリーの心柱にも採用されています。
今回の解体修理の中で、色々な事が発見され、薬師寺の様々な謎が明らかにされています。
長く論争されていた藤原京・移築OR平城京・新築論では、平城京で新築されたと考えられ、塔を解体し発掘調査をしていた基壇下からは、古代の流通貨幣『和同開珎』4枚が見つかり、そして意外な所から『仏舎利』が発見されています。(興味のある方は調べてみて下さい)
解体、発掘調査が終わり、また一から組み立て作業が始まった東塔。
タイミングよく・・・『先に据え付けられていた下部の心柱へ、クレーンで釣り上げられた上部の心柱を継ぐ様子』が、つい先日ニュースになっていました。
三層目の途中まで組上がっている様で、完成予定は2020年4月だそうです。(2018.05現在)
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