ひねもす建築|仁和寺《観音堂》屋根葺替え工事
住宅をリフォームするのと同じように、改修工事が必要なのは重要文化財も同じ事。
1994年、世界文化遺産に登録された仁和寺《観音堂》も、2013年から修復工事を行っております。
仁和寺は光孝天皇の勅願で886年に建て始められ、遺志を引き継いだ宇多天皇によって888年に創建されたお寺です。宇多天皇は譲位後に出家し、仁和寺の一角に僧坊を造営して27年間隠棲しますが、それから明治維新まで代々皇族が門跡(住職)を務めると言う格式高い真言密教の寺院となりました。平安・鎌倉時代と隆盛を極めた仁和寺でしたが、1467年に始まった応仁の乱によって全て焼き払われると言う壊滅的な被害を受け、再建が始まったのは江戸初期になってからでした。五重塔・御影堂など、ほとんどの建造物が幕府の支援で造営され、同じく観音堂も1641~1644年に造営されました。
(写真:桟唐戸復元)
仁和寺《観音堂》は、幅・奥行き共に約15Mの正方形で外周には回廊が配置され、本瓦葺きの入母屋造りの屋根は、正面の向拝が張り出している。
開口部には折りたたみ式の板扉と框入りの桟唐戸が据えられ、扉を開けないと内部が見えない・・密教寺院を感じさせる様式です。
仁和寺《観音堂》は江戸初期に再建され現在に至るまで、屋根の葺替えを一度実施したのみ。
驚く事に、江戸初期に再建された姿のまま現存している事になります。
360年以上雨風に耐えた《観音堂》でしたが、不同沈下により建物が傾き、雨漏りによる木部の腐朽も進んでいたそうです。
今回の工事では壁・柱は解体しない半解体修理により、地盤の不同沈下の調整、屋根全面の葺替え、木部破損部分の補修等、修復工事になりました。勿論、本格的な修理は今回が初めてです。
(写真:観音堂屋根瓦を下ろした状態)
(写真:屋根垂木の損傷状況)
(写真:ジャッキUPされた観音堂)
(写真:腐食部分を取替)
柱を支える30個の礎石の一部が約4.5センチ沈んでおり、堂が南側に傾斜している事が判明した。瓦などを取り除いた観音堂の重さは約3.5トン。堂の9か所に油圧ジャッキを置き、2日がかりで1M持ち上げられました。ダイナミックな修復の仕方ですね。
現在、360年以上前の姿で現存している観音堂やその他仁和寺の改修工事は、最先端の技術で支えられています。例えば、ドローンを使い、建物・植生・地面の勾配に至るまで全てを詳細にデーター化するプロジェクトが行われたり。観音堂では改修前の障壁画を記録しようと高精細画像で丁寧に撮影、デジタル化するプロジェクトが行われました。
観音堂は、伝法灌頂(でんぼうかんじょう)と言う、密教における指導者としての位(阿闍梨)を授ける重要な儀式が執り行われる場所として重要な堂舎であり、僧侶の修行道場として僧侶だけが立ち入りを許されていた場所です。一般には公開されておりません。
デジタル化されたデーターは、とても貴重な資料となりそうですね。
余談ですが、『仁和寺』と言えば『徒然草』のユニークな法師の話を思い出してしまいましたが、実際には、厳しい修行を積んだ僧侶の皆さんが集う場所でした。
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